カナダでまさかの1年の内に2度も就職活動をしました。1度目も大変でしたが、2度目はさらにハードでした。しかしその分学ぶこともたくさんありました。今回の記事は転職活動のダイジェストです。
これまでの仕事と転職先
初めに入った会社はアート・カルチャー系の雑誌を発行している会社で、そこのWeb担当者として働きました。その会社の成り立ちが特殊で、最初ブログに近いオンラインマガジンからスタートし、それから紙の雑誌を発行し始めたユニークな会社で、そのオンラインマガジンであるWebサイトのリニューアルを担当しました。学校卒業仕立てにも関わらずそんな大役を任され、大変でしたがやりがいもあり、とてもいい経験ができました。最近2冊目の雑誌が発行され、自分の名前と写真も入れてもらえました。形になるものに自分の名前が載るって何かいいですね。自分の生きた証として残せる物ができて嬉しいです。
しかしそんなお世話になった1社目も紆余曲折あり(詳細はまた別の機会に話すとして)、転職しました。転職先はDrupalという日本では馴染みの薄いCMS(簡単に言えばWebサイトを更新しやすくするシステム)を専門に扱っている会社で、そこのWeb Developerとして採用されました。最初の会社と同じく日本人は私一人だけ。でも言語の壁を越えて絶対に高いパフォーマンスを発揮してやる!と今からやる気に燃えています。写真は新しく入った会社のオフィスです。
厳しかった転職市場
今回の転職、とある理由で転職先が決まる前に会社を辞めざるを得なくなり、非常に厳しい中でしたが、幸いにも自分が一番興味があった転職先に決めることができました。
正直、状況は非常に厳しかったです。迫り来るビザの残り期間はあと約半年、自分のスキルはまだまだ新入社員に毛が生えたようなもの、カナダ人でさえ仕事を得るのが難しい状況でした。
転職活動開始当初は、1社目で実績も1つできたし、次は以前から興味があったUI・UXデザイナー職や、前回は学校出たてでは応募しづらかった会社にも挑戦しようと思い応募しましたが、やはりその職種の実績や見合うスキルが無ければ泣かず飛ばず。送った履歴書・カバーレターは華麗にスルーされどこからも反応はありませんでした。
これは自分が甘かったと見直し、まずは自分の経験あるWeb開発の力をもっとつけつつ、興味あるUI・UXの分野はじっくり取り組んで力をつけていこうというプランに方向転換。Web Developer(Web開発)の職種にも応募しましたが、こちらも反応はイマイチ。
唯一連絡をくれて面接をしてくれた会社も、途中まではいい感じに進みましたが、早かったレスポンスが急に来なくなり、いてもたってもいられず、ちょうど別の会社で働いている友達の会社でもJunior(スキルレベルが初級)Web Developerを募集をしていたので状況を聞いてみることにしました。聞くところによると、自分よりも高いスキルレベルの人が何人もその職種に応募している状況。絶望のどん底へ落ちました。
「これ、マジでダメかもしれない。。」
いかなる環境でも寝られる自分が、文字通り眠れない夜を過ごしました。
諦めないことの大切さ、そして周囲の支えあっての結果
しかし、友達の励ましもあり、翌朝、むしろこのどん底から這い上がってやる、絶対にやり切ってやる、とある意味開き直りの境地に達し、決意あらたにして履歴書とカバーレターを送り、面接を受けて落ちてを繰り返す中、ここで働けたら本当に楽しそう!なんかわくわくする!という会社に巡り合いました。そして、運良く面接のオファーを頂き、持てるもの全てをぶつけ、運良く採用していただけました。自分よりもスキルが高いカナダ人の多くが仕事を探していて、ビザの残り期間も少ない中で。
運良くとは言いつつも、1社目の就職活動の時にお世話になった元キャリアアドバイザーの教え、また先輩や同職種の友人の教え、今まで培ってきた実際の面接での体験、それらの知識・経験を結集して生まれた成果でもあると言えます。絶望的な状況であっても諦めずに頑張れたのは、周囲の方々のたくさんの支えがあってこそです。自分がここまで教わってきたこと、学んできたことを生かし切れば絶対就職できるはずと思ってやり遂げました。そしてそんな私のために自身の知識・経験を教えてくれた元キャリアアドバイザーであるソロモン氏と学校の先輩であるティミー先生には感謝してもし尽くせません。
このブログではその海外就職について私が学んできた様々な事や、今も試行錯誤しつつ続けている英語学習を主なテーマとして、また時にはWebの技術のアウトプットの場としても書いていきたいと思っています。もし将来的に海外で働くことに興味がある、その他ピンと来た方はぜひ今後もチェックしてみてください。
血の滲むような努力があったんだろうね!